ねこめしはっかーです。

書く仕事で生きたい、隠し事はあまりない27歳無所属。Jリーグが好きなのでサッカーについてたくさん書いていますが、実はルールが全然覚えられません。オフサイドについては諦めました。

だったら生きてるうちに悼んでほしくない?(Facebook追悼アカウント)

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Facebookあるあるその1「ウユニ塩湖」。↑2013年2月。

 行ったら感動を"シェア"せずにはいられなかったわ、南米の低速回線でアップしたわ。)

 

Facebookには追悼アカウントという機能がある。

アカウントの人物が死んだら、それを誰かが申告して、

「追悼アカウント」にする。

その後は故人との思い出を語り合うスペースになる、らしい。

 

私は思った。

それを死んだ後ではなく、死ぬ前にやれないだろうか。

 

もし、そういう機会が生きているうちにあれば、

自ら死を選ばずによかった人もたくさんいるのではないだろうか。

 

リア充アピールもといマウンティングの権化であるFacebook

 

お前が交際中とかどうでもいいよ

お前がされたプロポーズもしたプロポーズも興味ないよ

お前そりゃ結婚するだろうよその流れなら結婚するだろうよ

新婚旅行の自撮りどんだけアップすんねん

 

「身内のLINEでやればいいのでは」

と思わずにはいられない、性格悪いですね私。

みんながみんなキミの幸せに興味があるわけではない。

むしろほとんどの人は自分にしか興味がない。

 

Facebookユーザーの多くは、200人300人と「友達」がいるなかで

お互いのライフイベントを心から祝える「友達」って

せいぜい5人くらいじゃなかろうか。

 

じゃあFacebookを幸せに使うとするならどうしよう。

大勢とつながってるわけだし、もっとフランクな使い方をしちゃえばいいのでは。

フルネームが冠についているページなんだし、

本人との思い出を語らう場所として、

生前から機能してはくれないだろうか。

 

自分が自分で自分による自分のための【ご報告】をするくらいなら、

他人が他人で他人による他人と自分のための【思い出共有】ができないだろうか。

「私とこの人は中学の時同じ部活で、こんなことがあった」とか

「この人はこんな性格でこんなエピソードがある」とか

そこで書かれた方も

「あんなこと覚えててくれたんだ」とか

「そんな風に思ってくれてるんだ」とかね、しみじみ思ったりして

”よし、明日からも頑張ろ”って思えるじゃないですか。

”死にたかったけどもう少し生きてみよ”って思えるじゃないですか。

 

世界はもっとよくなるんじゃないかな。

 

(っていう流れがSNS全般に来てほしい)

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